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似顔絵師ママのクリエイティブな日々

【知覧特攻平和会館】涙無しには見るのは無理!鹿児島おでかけ情報2日目

こんにちは!きゃりこです。

前回に引き続き、鹿児島旅行2日目のブログです。

【関連記事】→【おでかけ】「ゆくさおじゃったもんせ」異国感満載!鹿児島旅行1日目
この日の目的は知覧(ちらん)と指宿(いぶすき)でした。

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知覧は特攻平和会館に、指宿は唐船峡のそうめん流しが目的です。

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あのフェリーに「車ごと」乗って行きます。
海なし県民は船に車ごと乗ること自体が凄いことなのですが結構普通?
確かに東京湾フェリーもあるけど乗る機会がなく…

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ここにも「ゆくさおじゃったもした」(ようこそいらっしゃいました)

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通勤で毎日フェリーを使う人もいるんですから凄いなぁと…。

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見た感じ車からフェリーに降りるのはほぼ観光客。

フェリーに乗ること40分、さらに車を走らせること1時間くらい?で知覧に着きました。

敵艦に体当たりして亡くなった特攻隊の遺書などが展示してある知覧特攻平和会館

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私がここの平和会館に来るのは2度目です。
1度目はまだ子どもを産む前。結婚して間もない時でした。
その時は夫と義弟と私で来たのですが、全員涙涙でした。

撮影禁止なので内部の写真がありません。
中には所狭しと遺品、遺書、遺詠など資料がたくさん展示されています。

まずは子どもに「戦争」とは何かということを説明しなくてはなりません。

「なんで戦ったの?」
「なんで敵なの?」
「どうして戦いに行かなくちゃいけないの?」

皆さんだったらお子さんにどう説明するでしょうか。

【簡単な特攻の説明】

第二次世界大戦末期、日本は追い詰められていました。
最前線だった沖縄をアメリカから守るため行った特攻作戦

特攻は二十歳そこそこの若い男性が250kgもの爆弾を乗せて自分の命と引き換えに敵艦に突っ込むのです。まさに「必死」
生きて戻ってくることはけして許されませんでした。

特攻隊員になるには知識も技術も必要とした超エリート兵のみ。
「志願」という名の「命令」です。
親に「特攻」になったことを言えずに亡くなった方も少なくなかったそうです。

特攻作戦で亡くなった隊員は1036名
そのうちの半数近くの439名がここ、知覧から飛び立ったそうです。

テレビなどでも紹介される実際の遺書や逸話

穴沢利夫大尉より婚約者の智恵子さんへ

「二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。
希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。
今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。
問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。
然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。
あなたの幸を希う以外に何物もない。
徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。
勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。
穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
智恵子。
会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。 自分も負けずに朗らかに笑って往く。」

相花信夫少尉より継母へ

「母上様御元気ですか 永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく 慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福であった
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが 何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと」


藤井一中尉とその家族

特攻の生徒たちが続々亡くなってたので自ら何度も特攻志願した藤井教官、30歳を超え、さらに妻子持ちは原則特攻にはなれないため、夫の邪魔をしてはいけないと2人の娘を連れ妻は入水自殺した。

…など。

 

子どものいなかった頃以上に胸を締め付けるものがあって、子どもたちに話や手紙を読んで聞かせましたが、途中で私自身辛くなってしまって無理でした。
教科書などでは教えない兵士の心や人間模様が悲しいほどにリアルです。

「子どもを死なせる為にここまで育てたわけじゃない」
親としてそう思ったとしても、言うことはけして許されない時代。

今では「おかしい」と思って、言うことが出来ても、当時は「国のため」「正しい」と信じて日本が勝つためだけに戦った人がたくさんいました。

私が同居していた祖父母は他界してしまいましたが、2人とも戦争経験者。
祖母の弟もサイパン沖で戦死しています。
子どたちには今の平和な日本になる前には戦争があったことを知ってほしいと思っています。

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こちら一式戦闘機「隼」のモデル機

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石原慎太郎氏製作指揮で2007年に製作された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で使用されたものです。

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これは前回購入して、毎年終戦記念日あたりに読み返している本です。
現在は表紙の色が変わっていましたが、絶対手離せません。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」では私の持っているこの本の話が凝縮されているので是非機会があれば見ていただきたいです。

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出撃が決まった隊員の宿舎だったところ。
ここで遺書や手紙を書いたり、恐怖で泣いていた隊員もいたそう。
実際はじめじめとして暗かったようです。

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そして特攻は片道の燃料しか積んでいなかったというのは間違いだそうです。
沖縄に飛ぶためには実際満タンでも足りなかった、というのが本当のところのようです。

場所は変わって指宿へ

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お昼御飯はさらに南下し、そうめん流しの発祥の地へ。

上から滑り台のように流れ落ちてくる「流しそうめん」ではなく、「そうめん流し」
鹿児島に初めて来たときに「そうめん流し」に連れて行ってもらって「思ってたのと違う」となったひとつ。

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この大きな流れるプールみたいなところにそうめんを入れて流します。

最近は似ているものが玩具で売ってますが、それの元祖で巨大版です。
「そうめんとおにぎりと魚が定食で出てくる」というのも私の中では斬新でした。
そういえば、九州のお醤油(刺身醤油)は甘いのですが、めんつゆも甘かったです。

友人M・Y嬢の話によるとこちらのめんつゆは「唐船峡 唐船峡めんつゆ」 として通販でも購入できるようです。

満腹になったところで帰路へ

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また車ごとフェリーに乗ります。

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船上で見る夕日。

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垂水に着いて「あいがとさげもした」(ありがとうございました)

 

お疲れの子どもたち。

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付けたはずのアイマスクはなぜか額上へ。

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この日のおでかけは君たちには少し難しかったね。
今を作ってくれた昔を生きた人たちと、なんでもない日、平和に改めて感謝した一日でした。

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  • 夏さん

    2017/7/22

    初めまして。特攻隊について本を読んだりする機会が続いたことがありあの時代のことを考えることがありました。うちは夫が私より先に興味を持ってあらゆる本を読み漁り、知覧に行ってみたいと言っていたんですよね。行った方のお話を読むチャンスはなかなかにので、じっくり読ませていただきました。若い頃は隊員の目線で考えましたが今は親の目線で考えてしまいます。本当に今ある幸せがどんな人たちの上に成り立っているのか、子供たちにも日々教えないと、ですね。

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プロフィール

伊達ゆかり

伊達ゆかり

埼玉県

夫・息子7歳(小1)・娘3歳(年少)
子どもと一緒に出来る、簡単で時短な物作りをする日々。おでかけやプチプラお得情報も綴ります!お仕事は似顔絵師。【HP】http://calico.nobody.jp/

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